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  祭礼までの間に、その年の厄年会によって御油神社へ備品、設備などを寄付するのが慣例となっています。
みやく会の寄付は石畳に決定され、その地鎮祭が16年4月17日の11時30分から御油神社にて開催されました。天候にも恵まれ、さわやかな春風が通り抜ける境内で、ほぼ滞り無く※1終了しました。

※1:正確には極一部に滞る場面が見受けられた。詳細は本文参照
   

みやく会は法被姿で地鎮祭へ臨みました。
法被の下はどんな服装でも良かったのですが、
なぜか約一名は法被の下にネクタイを締める気合の入れようでした。
 
「気合が空回りしなければ良いのだが・・・」

 

 厳かに神事は進行していきました。

 

神事も後半に差し掛かり、玉串奉奠となりました。
最初はみやく会会長
二礼
二拍手
一礼

次は氏子総代
二礼
二拍手
一礼

石畳を施工して頂く石屋さん
二礼
二拍手
一礼

最後はみやく会副会長
神主さんから
「みなさんご一緒にお願いします。」
と告げられ、かなり緊張したのか
一礼・・(1回足りないぞ!)
一拍手・・(また足りない・・)
一礼・・(これは間違わんだろ・)

一緒に奉奠しようとしていたみやく会は
完全にタイミングを外され
副会長の完全独走を許してしまった!

最後に全員でお神酒を頂き、神事は終了。


 
その後、神主さんと総代より
「神様へのお参りは、二礼二拍手一礼が基本です。」
と、キッパリ。
どうやら、 ネクタイを締めて気合が入りすぎてしまったようでした。

 

 

 すべてが終了して神社の石段を下っていくと、ま新しい石碑が建てられていました。
今年の2月に建てられたもので御油神社の由来が説明されていました。

御油神社
御鎮座地
豊川市御油町膳ノ棚三十一番地
御祭神
「伊弉册命」(イザナミノミコト)
 当御油神社は、古く踊山神社、それ以前は若一王子社、と稱された。
神社史によれば、其の初め、建仁年間、藤原俊成郷紀伊国那智山麓の一野郷より尊霊を三河国蒲形の里(蒲郡市)に遷し奉り、
その後文安元年(一四四四年)九月二十六日林五郎三郎光朝、再遷して此所御油の郷踊山山麓に奉安され御油町の産土神として、尊崇されるに至った。
例祭 八月第一土、日曜日

 

地鎮祭は無事?終了



忘れるな
二礼二拍手一礼を!
 


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